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鯛党検定

◆◆◆ 検定 ◆◆◆

幕末の長州藩出身、奇兵隊の軍監を務め、のちに国軍の父と呼ばれる山縣狂介と、奇兵隊を創った高杉晋作のコンビこと鯛党に関する検定です。

作者:ゆきどまりこ
8問正解で合格/全10問中
合格61人/全134人中
作成日:2016年11月20日
カテゴリ:教養 - 歴史・地理幕末 明治 長州

 

ケータイからでも
受検できます


【!注意!】この検定のネタバレを見る【!注意!】

問題一覧

Q:高杉晋作は、萩藩の大組士・高杉家の嫡男として生まれました。幕末の頃の高杉家の家禄は何石?
Q:山縣狂介は、萩藩の家臣団の中でも足軽以下の下級武士と位置付けられる階級に生まれました。その階級の呼称は?
Q:記録に残る限り、山縣と高杉が初めて交流を持ったのは、文久3年の3月と言われています。この時期、2人が揃って参列した孝明天皇の行幸は?
Q:幕末の下関では、毒にあたることを恐れずに河豚を食すことが武勇とされていました。志士たちがこぞって河豚を食す中、慎重な性格の山縣と高杉だけは河豚ではなく鯛を食べたという「鯛党」のエピソードが載っているのは?
Q:高杉がある日山縣に、自分の愛用の品を贈りましたが、後々惜しくなって返してもらっています。このとき贈った愛用の品とは?
Q:奇兵隊開闢総督の高杉と、奇兵隊の軍監として実権を握っていた山縣ですが、実は一緒に戦った機会は2回だけでした。元治元年の高杉の挙兵から始まった藩内戦以外で、一緒に戦ったもう一つの戦とは?
Q:元治元年末から始まった藩内戦において、今後の進軍方向について、山縣と高杉の間で意見が分かれ、揉めに揉めます。このとき、高杉が【明木】への進軍を主張したのに対し、山縣はどこに兵を進めるべきと主張したか?
Q:慶応3年4月、高杉が亡くなった際に山縣が詠んだ和歌は?
Q:慶応3年4月16日、吉田清水山で高杉の葬儀が執り行われました。このとき、山縣が形見として受け取った遺品は?
Q:高杉が山縣に送った現存する手紙の中で、高杉が一度も宛名として使っていない山縣の号・変名は?
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この検定へのメッセージ

  • エクセレント!
    (2016/11/21 01:42)
  • 楽しかった!
    (2016/11/21 01:42)
  • 勉強になりますた!
    (2016/11/21 01:42)
  • 面白かった!
    (2016/11/21 21:06)
  • 勉強になりますた!
    (2016/11/21 15:39)